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『6ステイン』読みました。

懸賞 2005年 06月 17日 懸賞

『6ステイン』(福井晴敏)を読了しました。
イージスファンなら読んどけ、と言う訳で、
ようやく読み終えました(苦笑)。



 今まで福井作品は『亡国のイージス』しか読んだことがなくて、『終戦のローレライ』に至っては、積み上げっぱなしです(苦笑)。
 そんな訳で、すっかり長編作家のイメージだったんですけれど、短編も書けるんですね。ちょっとびっくり。

 いや、正確には短編と言うよりも、ダイジェストというか、長編の中のエピソードを拾い上げているという感じですが。たくさん写真の貼ってあるアルバムをめくって、何枚かの写真を見せてもらっているような。
 それはもちろん『市ヶ谷』シリーズとでも言うべき、同じ仕事に従事する人々の話だからですね。

 ですから、普通は短編集だと「福井作品」入門としてオススメ、と言いたくなる所ですが、この短編集ではちょっと微妙だったりします(苦笑)。それに『イージス』の重大なネタバレもしちゃっているしなぁ…。
 そもそも『市ヶ谷』という組織がですね、『イージス』を読んでいないとピンと来ないんじゃないかという気もするし。思い入れも湧きづらいんじゃないかとも思うし。

 ということで、これから読もうと思っている方は、『イージス』の次に読んで下さいね。
 ま、そんなことを言ったら、『イージス』の前に『川の深さは』『Twelve Y.O.』を読んどけってことになるのかもしれませんが…(苦笑)。


 では、ここから先は本格的なネタバレを。

 とにかく面白かったです。
 結局どれも同じようなパターンなので、いくつか読んでいると、先が何となく見えちゃったりしますが、それでも(笑)。
 ラストに思わず「生きてんのかよ!」と突っ込みたくなったりしますが、それでもね(笑)。

 いや、私はハッピーエンド至上主義ですから、かなり都合が良くても、展開が強引でも、哀しい終わり方よりは、めでたしめでたしの、読後感が良い方が好きです。
 だから、みんな生きていてくれて嬉しいです(笑)。

 それにある人が特別出演してくれたりもするしね。ファンとしては嬉しいよね。
 でも本名は出さなくても良かったな。IDナンバーくらいで良かったのでは。それなら完全なネタバレにはならないし、分かる人だけ分かるという感じで。そのくらいの奥ゆかしさが好みです(苦笑)。


 ところで、この手の話だったら、何となく『ボディーガード』みたいな、「オレがお前を護ってやる」的なロマンスっぽい話になりそうですが、ならないですねぇ…(笑)。
 もしかしたら作者はその辺が苦手なのか、と思いきや。
 「恋心」とまでは行かないけれど、ほのかな恋慕というか、思慕というか、そこはかとない色気はあるんですよね。パッと見て「ピンク」じゃないけれど、薄紅色って感じ?(分かりづらい…)。

 だから、苦手なんじゃなくて、あえて描かないのかな。
 それにむしろ、男女関係よりも、親子関係を重視していますよね。しかもすごく片寄っている、いびつな、うまく行っていない親子関係ばかりね。あるいは擬似親子だったり。
 なんかその辺にトラウマがあるんじゃないかと邪推したくなるほど(笑)、繰り返し「親子」というモチーフが現れて来ています。

 そもそも『市ヶ谷』のAPだのSOFだのといったことをやっている人たちが、普通の家庭環境で、普通に育って、普通に生活してきた…ということは、ほとんどないでしょうから、無理もないのかも知れないんですけども。


 あ、考えてみれば、『イージス』も仙石さんと行は、擬似親子と言っても良いような関係ですよね。
 行はもとより、仙石さんも三行半を叩きつけられて夫婦仲が上手くいってないし、円満な家庭を築いてきたとは言えません。そんな二人が出会ったからこそ、お互いに欠けている部分を補いあって、ようやく新たに生きることが出来るようになったのかも。

 って、いきなり『イージス』のネタバレになっちゃってますが(苦笑)。
 そういや、『イージス』はそもそものきっかけが親子関係ですよ。宮津さんの息子への想いが発展したことによる結果だから。ついでに実行犯はみんな家庭に縁の薄い人を選んだとか言ってましたしね。
 その中で、ヨンファとジョンヒの兄妹愛が微妙なスタンスで…、ってまた『イージス』の話になっちゃってますよ。


 すみません。『6ステイン』に戻ります。
 6本の作品の中で、親子関係の話をしていくと。(そんな所にこだわりすぎですか?…苦笑)。

 『いまできる最善のこと』はモロに直球。子供がそのまま出てきます。中里はその子の親でもおかしくない年齢ですし。子供のお母さんの手紙もありました。 
 『畳算』も親子ほども歳の違う二人の話です。ま、実際は「夫婦」の話なので、ちょっとポイントとしてはズレるかもしれませんが。
 『サクラ』の高藤には、サクラと同じ年頃の娘がいて、サクラを自分の娘に重ね合わせていますね。
 『媽媽』『断ち切る』には、そのまま母である人が二人出てきます。そもそもタイトルが「お母さん」だしね。
 どちらの母親も息子がいて、それでいて幸せにしてあげられていないというか、負い目があったりする訳で。ついでに『断ち切る』の椛山さんも家族とギクシャクしていたり、苦労を掛けたりしていました。
 『920を待ちながら』は須賀と木村がやはり親子ほどの歳の差。そして須賀には擬似親子関係の瞳という女の子もいますしね。

 えーっとつまりは全部だ(笑)。
 全部、親子の話ですよ(極論)。

 ところで。
 このシリーズに共通しているのは、どれも命懸けで、誰かを護ったり助けたりするということです。誰かのために(あるいは自分のために)戦うということです。

 ということは。
 いきなり出会ったばかりの異性に一目惚れ(じゃなくても良いけど)して、その人のために命を懸けるというのは、あんまり現実的じゃないんじゃないか、と作者は思っているということなのでしょうか。
 任務としてじゃなくて、個人的感情が揺り動かされた結果としてね。

 少なくとも「親」が存在しない人はいないですから。
 夫婦ならともかく、ただ好意を持った異性…という程度の相手じゃ、なかなか命なんて懸けられねえよ、ということですかね(苦笑)。


 うーん、まとまりがなくてスミマセン…。
 しかも他の作品を読んでいないので、別の作品だったら、恋愛っぽいパターンもたくさん出てくるかもしれないし…。
 えーっと、ものすごくテキトーなこと言っているような気がします…(苦笑)。

by mgear | 2005-06-17 00:07 | 小説

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